郡山駅中の本屋さんで、よく立ち読みをするのですが、(本屋さんごめんなさい)
その本屋で、必ず手に取るのが、「山と渓谷」の新刊です。
特にその中で楽しみにしているのは、山の特集でも、グッズの紹介でもない、とある連載です。その連載が山エッセイ(エッセイでいいのかな?)である「でこでこてっぺん」

その面白さは何と表現したらいいのかな?通常の登山の小説や漫画ではカットされるべき部分に光を当てた面白さのようなものがあるということ。
登山のリアルを追及すると、実は「岳」でも「神々の山嶺」でもなく、「でこでこてっぺん」にたどり着くのかもしれません。

というのも
①登場人物が等身大であり
(げきさんと、その仲間のエピソードが中心にあるため、身の回りで起こる小さなエピソードが描かれていること。)
②登山の中の日常がクローズアップされていること。
(山での食事、ファッション、お化粧、幽霊、う○こ、痔、子育てなど、山登りの中で、遭遇する困りごとやおかしなことを切り口としたアプローチをされている。)
マンガの面白さを口で伝えるのは容易ではないのですが、先日も駅中の本屋で立ち読みをしていて(たびたび本屋さんごめんなさい)「でこでこてっぺん」を読み始めたらちょうどその回が、東北地方の山には熊がでる!という内容で、それがまた、ツボをついていて、思わず「ぐっぷっぷっぷっぷ」と薄気味悪い笑い声を立ててしまい、近くで本を探していた女子高生が離れていくという事件があったばかりでした。


とはいえ、ゲキさん、相当のロマンチストにもお見受けできます。
登場人物の表情の豊かさに隠れてしまいがちですが、普通のエッセイで言葉だけで表現したら美しい描写が至る所にでてきます。
たとえば、こんな独り言を作中のゲキさんが話します。
「夜、沢でテント泊していると 山のむこうから月が昇ってきて、暗かった谷間が突然銀色の光に満たされる。
それはもう息が止まるほど美しい光景だ。
山へ行っていると、はっ ワタシ今息をしてた!?と思うような瞬間があるよね。」

まさに同感、ゲキさんの審美眼に読者が気づく瞬間です。
しかしこの後、この美しいセリフのオチが座薬の話につながっていくとは誰が想像できたでしょうか?(^^)

しかし、実際に山仲間同士でこの本にでてくるような会話をしているとしたら、関西勢登山チーム恐るべしですね~

ゲキさんの山エッセイ、「でこでこてっぺん」お薦めです!

追記
山と渓谷社の皆様、立ち読みしてから、必ず買ってますからね。ご安心を!

前回からの続き

まだ明るいものの、太陽は午後の日差しです。影が伸びてきています。まずいことにヘッデン、懐中電灯はありません。このまま日が暮れると・・・・
「ばあちゃん、心配してるよな~」自分の今の状況も気になりますが、家族も気になります。
まずは、滝をどうしようか?「下りる?下りない?」葛藤が続きます。音は聞こえるものの覗き込めません。下手に下ると、登ることもできず立ち往生しそうです。

そんな時です。滝の音のするはるか彼方の尾根の上に家が建っていて、人がいるのが見えたのが。「おーい」と声をかけますが動く気配がありません。家も、人も見えているので、必死に声をかけますが立っている人はこちらを見て立ち尽くしています。
しばらくして、それが錯覚だと気づきました。

徐々に薄暗くなります。
決断しました。藪に戻ろうと。とにかく西に進めば間違いなくどこかの道に出られます。リスク回避を決めました。

ここからです。究極疲れると目に入る情報が勝手に脳内で解釈されて、ないものを認知するといいますが、ないものが見えるなったのです。
ちなみに、どんなものが見えたかというと

①道の向こう側に、ソファーが置いてある。⇒近くに行くとそれが岩に変わる。
②髪の長い女の人がうなだれて立っている。⇒近くに行くとそれが木々に変わる。
③音楽を大声で鳴らしている人がいる。⇒滝の音
④大きな葉っぱが落ちていてそこに滲んだ字が書いてある。しかも、そこに書いてあることが読める!⇒実際はただの葉っぱの模様なのに、それが頭の中で文字として変換されている。

トランスジャパンアルプスレースに出場されていた選手が、寝不足と究極の疲労で、錯覚(幻覚ではない)を起こすようになり見えないものが見える状況になるというのを見ましたが、この時の自分も疲れすぎて錯覚を起こしていました。
もう本当に賑やかに、いろいろなものが見えました。

黒部の山賊で語られれるさまざまな怪異談の中に、「おーい」とさけぶ化け物。夜中登山者のもとに現れる女の幽霊。聞こえない筈の声が聞こえる怪異。など
黒部の山賊で出てくる様々な怪異談ですが、登山をする方なら、もしかすると思い当たる事が多いのではないでしょうか?

ちなみに、藪に戻った自分ですが、数時間後、星空の瞬く沼尻スキー場の最上部のコースに、本当にいきなりポンッと出られたときの安堵といったら!
その夜の星空の美しさが今でも忘れられません。(^^)

前回からの続き

その日のコースは、沼尻温泉から、沼尻登山口、今は通行できない沼ノ平を抜け馬の背安達太良山頂へ、さらに一旦薬師岳に降りて、再度山頂に戻り、鉄山避難小屋、胎内岩を下りて沼尻に戻るという長めのコースでした。20lのザックに水筒と缶ジュース、お弁当を持って山に向かいました。
その日のお天気は上々、汗をぬぐいながらの登山です。
早朝4時、うす暗い時間に家を出て、山頂に着いたのは8時前だったように記憶しています。
途中通った沼の平の中は巨大なスタジアムの中にいるような雰囲気で、わくわくしながら通り過ぎました。
安達太良の山頂では、年配の登山者二人の方に
「僕は高校生か?一人で登ったんだ。えらいな~」と褒められて有頂天になったのも覚えています。山頂で磐梯山や裏磐梯の湖を眺めながらお弁当です。
とまあ、往路は楽しい山歩きになったのですが、トラブルが発生したのはその日の復路でした。

安達太良山頂から、馬の背、鉄山を越え、しゃくなげの塔のあたりで記念撮影。その後胎内岩を下りたところまでは記憶しているのですが、緩やかな下りを下りていくと、突然左の肩に激痛が走りました。あまりの痛みに一瞬呼吸が止まります。気づくと肩にスズメバチが止まっており、そいつに刺されたようでした。周りには数匹のスズメバチいてこちらを威嚇しています。
マズイ!!一気にダッシュして、とにかく坂を下れとやたらめったに走ります。

どれくら走ったか・・ふと気づくと藪の中にいました。
戻りたかったのですが、ハチが怖くて戻れません。地図もなく、どのあたりに自分がいるかもよくわかりませんでした。とりあえず真西に進めば沼尻スキー場には出られるはずと藪をこぎます。道なき道を必死に藪をこいで進みますが、1分で2~3mくらいしか進めません。
それでも体力があったからでしょう。数時間藪漕ぎをして、小さな沢にでることができました。

沢を下るというのは、登山において道迷いの一番の原因でもあるのですが、「この沢は、小酢川か、中ノ沢川に違いない」と勝手に判断し、とにかく下ろうとがむしゃらに進みます。
どうも、、このあたりで相当冷静さを欠いていたようでした。
ぐんぐん下って行くと、水が叩きつけるような音が聞こえてきました。滝?どうもこの下は大きな滝があるようです。顔から血の気が引きました。自分が下りてきたところを完全に見失っていました。「もしかしたら、相当まずい状況にいる?」

「定本 黒部の山賊」  伊藤正一著

買ってしまいました。「黒部の山賊」
この本を買ったのは、ツイッターのTLの中に、黒部の山賊が面白いと呟いていた方がおり、それが記憶に残っていたからです。本の表紙が切り絵のような装丁で、それがより面白そうな本というイメージを強くしていたかもしれません。

黒部の山賊は、北アルプスの登山黎明期の奇談、怪異談を綴った実話です。この本の著者である伊藤正一さんは、もともとはエンジニアで、縁あって山小屋のオーナーになり、雲の平への最短ルートである伊藤新道を完成させた方であり、日本勤労者山岳連盟の創設者にもなった方です。

たまたま本屋でこの本を見つけたときは、速攻で購入してしまいました。
ちょうど、本を買った翌日が仙台への出張だったので、ホテルでゆっくり読むつもりで本を携えて出張にでかけました。

仙台での初日の仕事が終わり、ホテルに戻って入浴後、コーヒーを用意してベッドにくつろぎながら本を開きました。

通常の山の本とは異なるのは、書かれているエピソードが、山賊、埋蔵金、山での強盗事件、たぬき、カッパ、カワウソ、人を呼ぶ白骨、火の玉などなど、山以外が主軸であり、単に山は怪異奇談の舞台として描かれているところ。とはいえ、登山をしている方なら、伊藤さんが伝聞された不可思議なお話の数々は面白いと感じるはずです。。
本の内容は、ぜひ本を手に取って頂いてお確かめ頂きたいのですが、これを読みながら思い出したことがありました。

高校生の頃、安達太良山に登った時の話です。当時、父の実家が安達太良山の登山口まで6キロくらいの地点にあり、安達太良山には何度も登っていました。最初は恐る恐るのぼっていたのでしたが、だんだん慣れてくると、地図も持たず、行動食も持たず登ったりして、まあ山をなめていたのでしょう。今から思うととても危なっかしい山歩きをするようになりました。
到底、遭難など思いもよらず、裏山に登る感覚で山歩きをしていました。そんな時に、不思議な体験をすることになりました。

(続く)

石塚真一作画 「岳」

ビッグコミックオリジナルに掲載されていた漫画です。登場するのは北アルプスを中心とした山岳とそこに魅了された山好きの人たちの物語。
小栗旬主演で映画化をされており、山に登る人たちのほぼ100%の人が知っている漫画だと思います。
この「岳」の中で特に好きなエピソードが第一巻に掲載されている「遠くの声」です。

詳細は書けませんが、あらすじは次の通り

北アルプスの常念岳で遭難した父と幼い子供。道迷いと怪我で身動きがとれず、何日間か食事もとれていない。残酷な運命の前に弱々しく死を覚悟する父親。
しかし、子供はお母さん(かなり前に病気により故人となっている)との「困ったときはお母さんを呼んでね」という病院で交わした約束を信じている。
彼方の空にいる母親に「おかーさーん!おかーさーん!」と声を届けようとする子供のひたむきさに、生きる気力を取り戻した父親。
そんな二人の前に現れたのは!!


いや・・これ号泣もんです。買う前に本屋で立ち読みしていたので、ぐっと来た瞬間、やばいと思って、思わず本を戻して、メガネを拭くふりをしてごまかしました。
このエピソードでは、主人公三歩と仲間たちの山のスキル(頼りがいあるんです。この仲間たちも)と、三歩の他のクライマーに対する優しさがクローズアップされています。
短い一片の話ですが、一切の無駄のない珠玉の短編です。

エピソードの最後に、三歩とその仲間の会話のやりとりの中で、三歩たちクライマーの持っている影の部分に焦点が当てられます。クライマーが、普通の人たちと違うのは、彼らが(彼女たちが)普通の人より、少しだけ死に近いところにいるということでしょうか?
よく、登山家はなぜ山に向かうのか?という質問がしばしば取り上げられます。明快な解答を持つ人、持たない人、また登る理由が人それぞれであったとしても、山に登っている人は、山に登っている人達にしかわからない感受性を刺激されているような気がします。
そして、その感受性は無意識にそれぞれの人生観に影響を与えているのではないでしょうか。

もちろん山に登る人が登らない人より、人格が高尚だとか高潔だとかということは決していうつもりはありませんが、山に登れば、空や雲や、木々や、花や月を下界よりは少しだけ美しく目にすることができます。また、下界では気づけない自然の大きさにたいして人間の小ささ、弱さを自分自身の体を通して知ることができるのも山です。

自分の体を媒介にして、ほんの少しだけ自分や世界、自然や人間のことを考える機会を山は与えてくれているのでしょう。そのために、少しだけリスクを受け入れる。それがクライマーなのです。

それを具現化してくれているのが「岳」の主人公、島崎三歩であり、「遠くの声」で三歩が見せてくれた優しさに繋がっている・・・・そんな気がするんですよね。

まだ岳を読んでいない方、機会があれば、岳の第一巻手に取ってみてください。
屈託のない笑顔で子供に向き合う三歩。きっと好きになりますよ。

追伸 立ち読みはグッと来ると危険なので買って読んでくださいね。(^^)
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